むずかしくても、愛してたんだよ

毒母との関係に悩んだり、怒ったり、傷ついたりしてきた娘の思うところをつづります。

國井のはなし 〜生い立ち・家庭内暴力編 1〜

自分の母娘問題を考えるにあたって、生育環境とたどってきた道筋を総ざらいすることにします。
わたしは九州出身、父と母と弟二人の五人家族の中で育ちました。つまり長子で長女。親にとっては初めての子どもであり初めての女の子という、ある意味母娘問題においては満を持しての生まれといえるかもしれません。
わたしが幼い頃から、母はいくつかのお気に入りの話を繰り返し聞かせました。自分はものすごく良い条件のお見合いをたっくさんして、そしてずいぶんモテたのだということ。昔の写真を見ると、若い頃の母はすっとした儚げな色白美人。家柄もそれなりにちゃんとしているとあって、なるほどお見合い話が引きもきらなかったというのは納得できる話です。
プロ野球球団の監督のツテで有名人とお見合いをしたとか由緒ある某伝統工芸の家元とお見合いをしたとか、華麗なるお見合い遍歴を披露するときの母のまあうれしそうなこと。それもそのはず、母はいわゆる自由恋愛というものをしたことがないのでした。

 

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そうそうたる顔ぶれのお見合いの結果、母は父と結婚。
「三男だし、明るくて清潔感があったし、なんとなくいいかなぁと思って」というのが決め手だったようです。父はデートの際にはぼろぼろの車に乗って笑顔で母を迎えに来たそうで、デートに同伴していた母の妹(結婚前提のデートに妹がついてきちゃうというのも昭和っぽい話だ)はその気取らない姿を見て「お姉ちゃん!このひとがいいよ、このひとに決めなよ」と結婚を後押ししたそうです。
いまよりも家制度が強い影響を持っていた時代なので母にとって「長男じゃないこと」はものすごく重要な結婚相手の条件だったようなのですが、ある程度条件重視で選んだとはいえ結婚してちゃんと恋愛感情は芽生えたようで、わたしのほとんど初めてに近い記憶の中で、父と母が幸せそうにキスをしているシーンがあります。
恋愛初期のライトな関係ならばたいていのカップルは幸せですが、濃い関係になればなるほど、喧嘩するのを避けるのはなかなかむずかしいもの。父と母はとにかくよく激しい喧嘩をしていました。いま思えば、これがお見合いではなく現代で普通の恋愛という形で出会い、付き合っていたならば、おそらく数年で別れてしまい結婚には至らなかった相性だろうなぁ、という感じです。

ネムーンベビーとしてわたしが誕生、その二年後に弟、それからさらに四年後に末の弟が産まれます。(ようやく話が冒頭に戻りました)
父と母はかなりの頻度で喧嘩をしていたのですが、その激しさたるや。父はかなり母や子どもたちに手をあげるひとで、母は父に蹴られて複雑骨折をし、それから約三十年が経過したいまでも若干後遺症が残っています。
わたしも含め、子どもも容赦なく殴られ蹴られしており、思い返せばわたしが子どもの頃に日々主に抱いていた感情は「恐怖」でした。さっさと食事を済ませる、片付けやお手伝いをする、などの規律を守らせるために暴力がちらつかされることもあれば、正直、「えっ?なんで殴られたんだろう?こないだは怒られなかったのに」「この程度のことで殴られちゃうの!?」と暴力の基準が明確にわからないことも多々ありました。*1
これでは暴力そのものに怯えるのは当然のことながら、「一体何をしたら怒られるのか」ということがいつまでもわからないため何をするにもびくびく、起きている間中、家庭という狭い世界の神である親の裁きに怯えることになってしまいます。また、「これがいけない、悪い」という行動に関する善悪の基準が確立されにくくなり、「なんでも自分が悪いのではないか」「これ以上間違いを犯さないようにしなくては」と思い込み、人間として健やかに成長するための土台となる自己肯定感が育たなくなってしまうーー少なくとも自分に関しては、「理由がわからないまま振るわれる暴力」というのが過剰に低い肯定感の大きな要因になっていた(る)ように思います。

 

さて、暴力そのものと同じくらい嫌だったのは、その暴力の裏にある「これで誰が一番偉いかわかっただろう」という父の心の声でした。父の暴力は「父としての、男としての威厳を見せつけてやる」という思いが悪い形で発露した結果のようでした。
家族に暴君として君臨する父。火がついたら止められない気性の激しさ。母はそれに実力行使で歯向い、言葉でも反抗するけれども、結局は実際的な力である暴力に組み伏せられる。子どもはあまりの痛みと恐怖にわあっと泣き叫び続けるのに精一杯。
父の暴力はその後も長らく続き、わたしはハイティーンになるあたりまで殴られていたような気がします。気がします、というのは辛いことなのであまり思い返しておらず、特に記憶の整理もしていないからですが、まあ、自分のことながらこのあたりについてはそっとしておいていい過去かなと思っています。(続く)

 

*1:これを書くために記憶を辿り「一応こぶしではなく平手で殴られていたな、そうか一応配慮してたんだ」と思ったりしたのですが、「こぶしじゃなくて平手で殴られるだけまし」と一瞬でも思いそうになってしまうのはよろしくないですね。暴力は全部あかんよ